夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

夢奇述——21th とりっぷ(2020/07/14)

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 夜の高層商業ビルの一室。階数は不明。しかし、高層階にいる模様。控室か、休憩所らしい。観覧車のゴンドラのようでもある。
 出窓になっていて、夜景が広がっていた。屋内は間接照明のため、仄暗く、外に広がる景色に自然と視線がいくようになっていた。闇に溶け、月光を反射する海と、星のように点々とした人工灯を放射するビル群。
 そこでぼくは真っ黒のスーツに白ワイシャツという恰好で、チープな合皮製ソファに座っていた。それはU字を描いており、横に長かった。
 ぼくは窓の外の風景を一望し、向き直った。
 向かいには、賢太と泰介が座っていた。ふたりもぼくと似たようなスーツ姿だった。

         *

 くやしい。何故会ったのかを思い出せない。どんな会話をしたのかも。
 ふたりは実在人物であり、また幼馴染である。両名とも、幼稚園の頃からの仲だった。交流が比較的深かったのは、小学生までである。中学生以降はぼくだけが私立に通うことになり、そこからは自然と疎遠になった。社会人になってからは交流がない。
 賢太は、代々つづくクリーニング屋一家の四人兄弟の二番目。堅実な性格で、冒険はしない。父の趣味が影響したのか、中学生の頃までは野球に熱心だったが、いつの間にかあっさりと野球選手になる夢は投げ捨て、いまでは役人をやっている。
 小学生の頃は、誕生日が同じということもあり、ほんとうに親しかった記憶がある。高校生になって年末年始の年賀状配達バイトを紹介してもらい、ひさしぶりに会ったときは心がじんわりするような思いも味わった。
 泰介は、三人兄弟の長男。かれの親は自動車修理店を営んでいる。比較的内気な性格であり、親しくない者には人見知りする。かれとは高校生の頃にある程度仲良くなった。これは英会話教室が同じだったというそれだけの理由である。
 かれは社会人になってからいろいろと苦労をしているようで、出版社の編集者にあこがれを抱きながら、ライトノベル作家の夢を諦められないでもいる。さいごに聞いた噂ではフリーターをしているとのことであったが、いまはどのようになっているのだろう。大学生の頃にきちんと向き合い、腹を割って話し合えば関係が変わっていたのかも知れない。しかし、かれが創作に興味があると知ったのは社会人になってからだったため、会話する場も時間も雰囲気もなくなっていた。

         *

 階下では優樹の結婚式が行われる予定らしく、それに向けた内容をぼくら三人は話し合っていた。ぼくはそのとき、気もそぞろで、初恋の相手に会えるかもしれないという淡い期待を胸に抱いていた。
 まもなくして、廊下が騒がしくなった。みると、とめどなく群衆が右から左へと、焦燥感をむき出しに、ひしめきながら小走りしていく様子があった。
 それに呼応して、賢太と泰介はあわてて部屋を出ていき、群衆のなかへ呑まれていった。居合わせていたほかの客たちも賢太と泰介に倣った。
 ぼくは動じず、いずれ治まるだろうと考え、人混みをみていた。
 すると、おい、あんた、そこで何してるんだ、と人混みのなかから見ず知らずの者が声をかけてきて、ぼくはそれに引っ張られ、その群がりに呑まれた。
 テロか内紛か、判然としなかったが、なにかしら人種差別的な事件が起こっているらしかった。

         *

 優樹の結婚式。これは現実世界とつながりがあり、むしろこれが核となって、賢太と泰介が出てきたように思う。というのも、社会人になって、ふたりと会ったのは、その結婚式が最初で最後——最後は大袈裟だろうか——だったからである。
 この結婚式は、2019年4月20日に行われた。
 賢太と泰介はこの当時の姿が反映されていた。
 ちなみに、優樹も賢太や泰介同様、幼稚園からの幼馴染である。二人兄妹の兄で、かれは幼馴染連中のなかでもっとも人当たりが良く、またやさしい性格をしていた。とくにかれは疎遠になっていたぼくを大層気にしていたようであり、幼馴染のなかで唯一、社会人になってからぼくと旧交を温めようと試みていた人物でもある。
 当時を思い返すと、申し訳ない気持になる。当時のぼくは、良い精神状態だったとはいい難く、あらゆる人間を拒んでいた。優樹にたいしても、被害妄想じみた考え——ぼくを見下すために仲良くなろうとしている、金ヅルとして仲良くしようとしている——が頭にこびりついて離れず、露骨に関わろうとしなかった。きっとかれは傷ついただろう。幼稚園の頃助けてもらった恩義が忘れられず、できれば大人になったからこそ仲良くしたいという旨を遠回しに聞いたが、当時病んでいたぼくは無視した。むしろ、その話を耳にして、じぶんがそんなことした記憶もなかったため、かえって疑い、ひねくれた解釈で捉えていた。
 当時もそうだが、やはりぼくはいまも幼馴染連中には会いたくない。
 いまでこそ、気まずさもあっての会いたくないという思いが大部分を占めているが、以前は幼馴染=過去という結びつきが強かった。過去は捨てた、もう昔のじぶんには戻らない≒「ふつうの人間」になることを諦めた、という覚悟をもって文芸の世界に飛び込んだため、本音をいえば、かれらと馴染むことを極端に恐れていた。かれらとふたたび仲良くなろうものなら、じぶんがふつうになってしまう気がした。
 それにしても、どうして一年前の出来事がこのとき核となったのだろうか?
 両日に共通しているのは、せいぜい仕事で事務作業に追われていたことぐらいである。それ以外の点ではとくに思い当たることがない。

         *

 観覧車のゴンドラのような一室から抜け出さざるを得なかった群衆の切羽詰まった騒乱の原因だが、思い当たることがないでもない。
 優樹が結婚した相手は香港人だった。そこがつながっている。
 おそらく、夢奇述——16th とりっぷ(2020/07/07) - まいこときしんも、つながりがある。
 2020年7月は中国において国家安全維持法なるものが施行され、暴徒たちが逮捕された。

         *

 鼠→猪→人間という流れで研究すれば差別を根絶できると考えている。
 ぼくは学習塾の室長だった。各教室の長が一同を介す会議で、塾長はオンラインで参加し、ほかふたりの教室長は、ぼくが管理する教室に集った。
 それぞれ玉座のように豪勢な椅子に腰掛け、背後に生徒や講師たちを侍らせていた。ぼくの両脇には女子生徒がおり、やたらとちょっかいをかけてくる。
 ぼくはくだけた私服姿だった。塾長も、ふたりの教室長も、スーツ姿だった。
 ちょっと前までスーツ着てたんだけど、と思っていると、なぜスーツ姿じゃないの? といくらか棘のふくんだ語調で塾長が訊いてきた。ぼくは「仕事するときはスーツに着替えてますから」と苦しまぎれの返答をした。
 ぼくらは会議をはじめなかった。なにかを待っていた。
 ふと、ふたりのうちのひとりの教室長——郡山はおもむろに猪のコスプレをし出し、そのまま完全な猪へ変身してしまった。

         *

 なぜ鼠→猪→人間で研究すれば差別が根絶されると考えたのか?
 ほかにも社会性を持った生物はたくさんいるのに。解らない。
 群衆、粗暴、貪欲、雑食の連なり?
 塾長と各教室長の集いでは、生徒、講師、室長の関係といった雰囲気はなかった。どちらかといえば、村人と村長のような関係を感じた。それほどまでにじぶんも含め、公私が癒着している気配があった。両脇に従えていた女子生徒はふたりとも当時中学三年生で、現実世界にいる子たちだった。そんな振舞いをするはずがないと考えている子だった。かのじょらはぼくの座っている玉座の手摺に尻を載せたり、あるいはぼくの膝の上に載ったりしていた。ぼくはそれを一種のステータスと心得ていた。
 塾長、ふたりの教室長も現実世界において実在する人物たち。
 ふしぎだったのは、そのうちのひとりである加藤(ぼくのひとつ前の室長で、同齢。やさしくも厳しくもできる万能型の人物だった。その性分ゆえか、運営はうまかった。会話する機会があまりなく、親しくはなれなかったものの、好人物の印象をぼくは抱いている)は2018年に退職している。にもかかわらず、一教室長として、変わらぬ姿を現していた。
 もうひとりの教室長、郡山が猪になった流れは見当もつかない。じぶんを含めた教室長のなかでもっとも劣っていた人物が郡山ではあり、その罰として猪と化したのではないかと、それとなく推測することはできる。猪になっていく郡山にたいして、ぼくは少し哀れみを感じていた。しかし、「猪」である理由はどこにあるのだろう。
 郡山は非常に細身で、体格から連想はできない。風貌を動物に当てはめるのであれば、ガリガリハリネズミである。それにこの夢をみるまえにぼくは「猪」の情報を頭に入れていない。起床後、それに関しては考えることになった。ぼくはたぶん、切歯、去勢、断尾をしていない、膂力のある毛生え豚という認識が猪にある。猪から浮かぶイメージとしては、「野卑」、「粗暴」。
 郡山は職務や指示に忠実で、遊びがない。物腰やわらかで自己主張もない。
 ぼくにとっては、かえってそこに人間味が感じられず、不安に思えてしまう。その不自然さを否定するために結びつけたという可能性がある。