夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

暗殺の坩堝



 

 井伊直弼は有村次左衛門に殺された。
 「安政の大獄」が主因であった。
 十分にも満たない襲撃のあいだ、井伊直弼は有村次左衛門に駕籠から引っ張り出され、三度にわたって刀を振り下ろされ、斬首された。

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 伊藤博文安重根に殺された。
 韓国併合が主因であった。
 約四十秒ほどのあいだに、群衆に混じり、安重根は近距離から発砲。そのうちの三発が被弾し、まもなくして伊藤博文は絶命した。

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 原敬は中村艮一に殺された。
 政商、財閥中心の政治が主因であった。
 群衆のなかから飛び出し、中村艮一は短刀で原敬の右胸を深々と突いた。

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 犬養毅は黒岩勇、三上卓に殺された。
 世界恐慌に端を発した大不況が主因であった。
 首相官邸に押し入られ、黒岩勇に頭部左側を、三上卓に頭部右側を撃たれた。

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 少数の権力者たちと多数の被権力者たちとの間にある一定の緊張関係が極度に引き絞られる――崩れたり、弾けたり、切れたりする以前に――と、そこから必ず、時の最たる――「犠牲」として最適な――権力者を屠殺する者が現われる(一本の矢が放たれる)。

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 暗殺は往々にして、ねじれを生む。
 社会の暗部から立ち上った〈狂人〉(あるいは〈勇者〉)が、自らの正義を盲信し、「犠牲」にふさわしい権力者を屠る。
 暗殺者たちは「死刑」に処されない。
 なぜなら、かれらは屠殺業者でしかない――〈社会〉の意思の代行であり、能動的と見せかけた受動的存在なのだから。
 むしろ、暗殺することで〈社会〉にその覚悟を買われ、日の光を浴びる(衆目に曝される)。そこではじめて燦然と輝く、つかの間の生を得る。
 古代中世であれば、かれらは賞讃と喝采を胸に、王座あるいはそれ相当の地位へついた。
 いまは、名声、認知、共感、同情、信仰――いずれかではなく、すべて――が、大衆によってもたらされる。かれを真に非難するのは、権力者たちだけである。
 一方で、〈社会〉の生贄となった権力者は死のベールをまとう。
 生前、明暗をつかさどっていた輪郭はぼやけ、抽象化され、茫洋とする。そして、その相貌が、その死顔が、善行ばかりを色濃い影絵として遺す。ついに悪行はベールに覆い隠された。
 権力者は死のベールのおかげで、まんまと大衆を騙し、歴史の一頁に自分の名を殴り書きして、逃げおおせることに成功する。

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権力者と暗殺者はひとつの空間において刹那の交錯を果たすことで、それぞれの状況を交換する。光は陰に。陰は光に。
 陰は永いが、光は一瞬だ。

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 濱口雄幸は暗殺を免れたがゆえに、〈社会〉に止めを刺された。
 中途半端に生き永らえてしまったがために、彼は生贄にしか与えられない特権を得られなかった。

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 安重根は「死刑」を執行された。
 だからかれは暗殺者で終わらず、生贄となる権力者にしか認められない特権を手にし、〈英雄〉となった。

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 権力者の悲劇的な死は、大衆の胸を打つ。
 というのも、大衆はベールを通して視える人型に、しばし権力者としての存在を忘れる。そして、そこに「ひとりの人間」を見出してしまう。権力を背負った者ではなく、背負わされてしまった者の悲哀が映る。孤独に〈社会〉と対峙し、苦闘する横顔を目の当たりにする。
 大衆は自身の内に投影されたこれらの嘘八百で甘美な幻視に酔い、誇張された悲劇を想っているに過ぎない。

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 老いてひっそりと死んでいく安倍晋三を望みたかった。
 そうなることで、彼の政治の功績は冷えた石碑となり、大衆は客観的に無感動な眼差しで眺めることができただろう。
 しかし、それは許されなかった。山上徹也によって、「政治家としての安倍晋三」の最後のピースが当てはめられてしまった。
 彼は完成した。その死をも政治に貢献させ、〈英雄〉へとなり果てた。