夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

魯迅 著『狂人日記』評Ⅱ

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* 迫害狂

 

魯迅の愛用していた田中錬太郎簒訳『独羅英和医学字彙』(南江堂、一九〇〇)などは、被害妄想をあらわすVerfolgungswahnというドイツ語に「追跡狂」という訳語を当てており、「迫害狂」という訳語は用いていないのです》
 これは、光文社古典新訳文庫で『狂人日記』の翻訳を担当した、藤井省三のあとがきの一部である。
 魯迅は〈僕〉の症状をたしかに「迫害狂」と書いた。これは訳者の指摘したとおり、誤りなどではなく、意図あってのことだろう。「迫害狂」と「被害妄想狂」には、大きな隔たりがある。
「迫害狂」は他者の欠点を誇大化し、執拗に他者を攻撃する。転じて「被害妄想狂」は自己の欠点を誇大化し、執拗に自身を攻撃する。
 いま一度、〈僕〉の言動をつぶさに追っていくと、じぶんが食べられてしまうという、一見すると、被害妄想とも感じとれることを述べていなくはないが、それ以上に村人たちないしは大兄を人食いの者たちであると立証するのに、必死であることがみてとれる。
《奴らの祖師の李時珍が書いた『本草ナントカ』に、人肉は煎じて食するとはっきり書いてある》
《わが家の大兄さんに対しても、無実の罪を着せているわけではない。僕に古典を教えてくれたときに、その口で「子を易えて食す」こともあると言ったのだ。またあるときに悪人について議論した際、殺すだけでは済まない、「肉を食らい皮に寝ぬべし」とも言っていた》
易牙が自分の息子を蒸し料理にして、桀紂に食べさせたとは言っても、ずっと昔のことです。ところがなんと盤古が天地を開いて以後、易牙の息子まで、ずっと食べ続けてきており、易牙の息子から徐錫林までずっと食べ続け、徐錫林からまた狼子村が捕まえた人まで食べ続けているんです。去年、県城で犯罪者を首切り刑にしたときも、肺病の人が、その血を饅頭につけて舐めていきました》
 対して、比較対象の好例として「被害妄想狂」を挙げるのなら、小島信夫著『馬』の〈僕〉と、ソール・ベロー著『犠牲者』のエイサ・レヴィンサールだろう。
『馬』の〈僕〉は、馬の五郎について思いを巡らせ、「自分の家に、自分より遥かに男らしく逞しい動物が——それがにんげんでなくても僕の家に常住いるようになるということで、心に平衡を失わぬ男がいるであろうか。それが犬であってさえもそうなのだ。ところが、犬よりはずっと大きく、僕よりも大きく、貴公子にして野生的なこのつややかなる生き物が、僕を下僕のように見下しているのだ。(少くとも僕にはそう思える)」と語り、『犠牲者』のレヴィンサールはある人物に「あの男がぼくを怒らせ、ぼくがその仕返しに、彼を苦しめた。その理由は、ぼくがジューであるから。ジューは怒りっぽい。傷つけられると、かならず復讐する。肉一ポンドを請求するシャイロックがそれだ。いや、おっしゃらんでも判っています。わしの心に、そんな考えのはいりこむ余地はない、みんなおまえたちの妄想だ、とおっしゃりたいのでしょう。しかし、それをジューの妄想と呼んだところで、何がどう変るものでもありません。あなたもときどき、世間のやつらが、こんなことをいうのをお聞きでしょう。『それは中世以来のことだ』とね。腹が立ちますよ。ぼくたちユダヤ人は、実際に考え、実際に感じていることを無視されて、何かにつけておかしな目で見られているのです」と語る。
 ただ、『犠牲者』は被害妄想狂の好例でとどめておくには、もったいない。というのも、作中に、『狂人日記』の〈僕〉と同じ気質をもつカービー・オールビーなる人物が登場する。登場するどころか、主人公のレヴィンサールにつきまとい、被害妄想狂と迫害狂の壮絶な闘争——「きみはこの責任のすべてがおれにあるといって、ごまかしてしまうつもりらしいが、本当の責任者がきみなのは、厳然たる事実だ。罪はきみにあり、しかも、きみだけにある。この問題の全責任がだ。おれはきみの手で、破滅させられた。破滅だぜ! 誇張でもなんでもない。おれは文字どおり破滅した! そして、その責任者がきみだ。きみはそれを、おれへの憎しみから、故意にやった。仕返しだけのことで!」——を演じる。この作品を読めば、被害妄想狂と迫害狂のちがいが一目瞭然となっているのだ。
 これらの狂人どもは、妄念の肥大が特徴的である。その奥には客観的真実はなく、主観的真実の矢印が一方通行的に伸び、空虚を示して静止している。しかし、火のないところに煙は立たないという言葉があるように、それはあながち完全なる虚妄ではない。『馬』の〈僕〉が狂うに至った馬は本当に家へ来たのであったし、『犠牲者』のレヴィンサールは本当にユダヤ差別があった。そして、オールビーもキッカケとなる事件——職場の解雇があった。根拠となる揺るぎがたい事実から、常識を逸脱して本来常人では感知し得ない真実を狂人は抽出する。つまるところ、『狂人日記』の〈僕〉にも、基づく事実はあった。
《数日前、狼子村の小作人が不作を訴えてきて、僕の大兄さんが向かって言うには、村にとんでもない悪人がいて、みんなで殴り殺したところ、数人の者がその男の心臓と肝臓をえぐり出し、油で炒めて食べたという——肝っ玉が太くなるからだ》
 さらにいえば、『狂人日記』を書いた魯迅にも——。
《また北京紙「晨鐘報」(一九一八年一二月に「晨報」と改称)は同年三月より社会面に相当する「首都ニュース(本京新聞)」を刷新拡充しており、同欄は五月に入ると立て続けに「孝子が股肉を割いて親の病を治す(孝子割股療親)」など人肉食に関する記事を掲載している。人肉食が「孝」や「賢」という儒教的価値観から賞賛されているという現実を目の当たりにした魯迅が「狂人日記」の筆を執った、とは考えられないであろうか》