夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

「おせんころがし殺人事件」考Ⅲ

* ずれた歯車

 
 栗田源蔵は犯罪を積み重ねていくうちに、あけっぴろげになっていっている。はじめは盗み、ついで闇商売、そして殺人。
 あけっぴろげになっていくということはすなわち、非日常性が希薄になっている証拠であり、生活に盗みや殺人が切っても切り離せないほどに癒着してしまっていることを物語る。
 なぜ、犯罪が生活と癒着してしまうような道程を歩んだのか。それを明らかにしていくために、まずは幼少期の栗田源蔵の性格から探りをいれていく必要がある。
 栗田源蔵は元来、内向的かつ繊細であった。
 これは夜尿症という負い目と、学校でのいじめによって、もたらされたものだ。じぶんの身体がじぶんのいうことをきかないという焦燥感、いじめによる絶え間ない外的不安。それらが重なり合い、澱のように積もって、じぶんの欲求や欲望を他者にうまく告げられず、溜めこむ形となった。いい換えるのであれば、不自然な形で、意図せず、自らが自らの男性性を抑圧――表現としては、押し殺すのほうがふさわしいかもしれない――した。この意図しない無意識の操作がまた、まわりの男たちのように振舞えないという、さらなる劣等感を誘発する。その劣等感やフラストレーションの捌け口として、盗癖が機能した。
 この盗癖のために、栗田源蔵は奉公先を転々としたらしいが、さて、これには複合的な意味合いがこめられている。危機、刺激、冒険、悦楽、充実、注目。なかでも、注目は多色を帯びている。奇抜なことをしている、反社会的なことをしている、他人を貶めたい、他人に叱られたい――この内から湧き起こる素朴な動機には、家庭環境の陰を感じずにはいられない。いずれにしても、他者の眼があるために生じた癖といえる。ようするに、他者に影響をおよぼすために盗癖を行った、あるいは行いはじめた。
 無論、初期においてはだろう。月日が経つにつれ、〈生活〉となる。それが飯のタネになったのだ。これは総武グループから明らかである。しかし、この〈生活〉になってしまうまでの流れをそう簡単に流してはいけない。
 決定的となったのは、北海道の美唄炭鉱。詳細な情報がないため、憶測でしか語れないが、ともかく、そこで栗田源蔵は認められた。盗癖が社会的利益――商売になったがために、ようやく栗田源蔵は社会に価値を見出された(それぞれ小社会といえる家庭と軍隊では、価値を見出されなかった)ばかりか、必要悪として社会に「許容された」――につながったのである。つまり、劣等感やフラストレーションの捌け口であったのが、それを行うことで、一部からは存在を肯定され、また罪を犯したことによる社会的代償の支払い方も学べたのである。そこから栗田源蔵は男性性の発露が犯罪である――〈男らしさ〉とは、社会にたいして行使する個の暴力である――と確信するに至った。
 これにより、栗田源蔵は犯罪を非日常から日常へと転化せしめた。もはや、犯罪をすること、ないしは犯罪そのものが、栗田源蔵にとって拠りどころとなった。ゆえに、美唄炭鉱以降、異名がつけられるほどに犯罪にのめりこんだ。犯罪は栗田源蔵にとって自己実現となっていたのだ。