夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

夢奇述——14th とりっぷ(2020/07/04)

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 地下鉄に乗っていた。
 私は白のワイシャツに黒のスーツ、そして黒のトレンチコートを羽織っていた。優先席でない、三人掛けの座席に坐っていた。左隣には元上司の女性が腰かけていた。かのじょは、ボブカットの髪型をしており、服装は白のワイシャツにグレーのスラックス、ベージュのトレンチコートを着ていた。かのじょは深刻そうな顔をしていた。なにかの会話をしていた。ふと、目的地でもない駅でかのじょはおもむろに立ち上がり、急ぎ下車する。私は呆気にとられた。とはいえ、追いかけようという気持はなかった。
 ひとりになり、何気なく、うしろをふり返り、電灯が点線としてつづくトンネル内の風景を見ようとする。窓に真っ赤な口紅で「ミホを探せ」と大きく書かれていた。それをみて私は立ち上がり、先刻の女探偵の顔を思い浮かべ、あわてて電車を降りた。
 私は街中を歩き、ファミリーマートに入った。買い物をした。
 白澤香里がレジを担当していた。なつかしいような、居心地悪いような気持になる。スタッフルームから菊間店長が出てきた。
「おお」
「あ、どうも」
 私は菊間店長の反応に被せるようにして挨拶した。
「どうだい、さいきんは?」
 菊間店長が訊く。
「とくになにも。菊間さんこそ、どうですか? この店、ファミリーマートに変えてみて」
「うん、そのことだがな、またケンタッキーに戻すんだよ、ここ」
「え! そうなんですか。どうしてです?」
「売上がなあ」
「もともと売上が芳しくなかったからファミリーマートにしたんじゃないですか?」
「そうなんだけども。ケンタッキーのほうが初動はよかったんだよ。だから、経営戦略をちゃんと練れば今度はやれるはず」
 私はファミリーマートをあとにした。
 ファミリーマートで買ったスパイシーチキンやピザまんを食べながら飲食店が雑多に立ち並ぶ通りを行く。夜の闇にどぎつい提灯や看板の明かり。料理の湯気がそこかしこに濛々と立ち昇っていた。どこも盛況だった。テイクアウトもやっており、表に出されている値段表示の札はどれも安く、店頭の様子、そしてにおいが食欲をくすぐった。
 閑散とした飲食店に家族はいた。大衆食堂のような内装に席はすべて座敷だった。家族の者たちはヤンニョムチキンを食べていた。
「ほかの店のほうが良さそうだよ。なんでほかの店にしなかったの?」
 と着いてまもなく、私は母に訊ねた。
「韓国料理が食べたかったからよ」
 との母の返事。
 私は妙に納得した。じっさい、ヤンニョムチキンは美味そうだった。しかし、私はここに至るまでに食べたコンビニ飯のせいで満腹だった。家族が韓国料理に手をつけていくのをただ眺めるしかなかった。

 私はガレージの片隅でバッタを育てていた。ショウリョウバッタの家族のなかに一匹のトノサマバッタがいた。それらはアリのように助け合いながら生活をしていた。年長者らしい、母親らしいショウリョウバッタは、トノサマバッタにたいしてもほかのこどもたちへするように愛情を注ぎ、定期的に寝床へ運んでいた。私はガレージの入口を開けた。飼育箱からバッタたちを出し、目の前の河川敷に日課の散歩をさせた。それらは頭が良い。好きなようにさせた。いっぽう、私はというと、それらの様子を観察するでもなく、ビー玉転がし遊びをはじめた。

         ***

 地下鉄の場面。あきらかに私は自身が探偵であることを意識していた。そして、元上司の女性というのも、探偵という職業での上司であった。かのじょは私の隣に坐っていたとき、探偵職を辞していた。そのため、「元」という思いがあったのだろう。さて、そんなかのじょであるが、実在世界において当てはまるような人物はいない。……と書いてみたが、いた。まさにいま、これを書きながらふと思い当たった。なぜすぐに浮かばなかったのか。ともかく、その人物というのは、藤枝である。私が大学生時代、親しくさせてもらった一つ上の先輩であった。かのじょは私が社会人一年目の夏、自殺してしまった。かのじょが元上司の女性として登場してきた。複雑な気分だ。「元」という要素と、さきに電車から降りたというのが、ひどく死の気配を匂わせる。匂わせる? いや、匂わずにはいられない。わざとそういうふうに仕向けられているのかもしれない。なにかを話していた、と記述しているが、日常的な会話をしていたような気もする。ちなみに、「ミホを探せ」の文言。ブックディレクター当時、スタッフにひとり、その名をもった女性がいたが、かのじょを示しているのだろうか。それにしては、探すほどのなにかを秘めた人物ではない。そこまで親しくもなく、また印象も薄い。おそらく、その〈ミホ〉ではないのだろう。ちがう〈ミホ〉である。とはいえ、〈ミホ〉が何者なのかは、そのあとにつづく内容からも察せられるように、分らずじまいである。夢が途切れてがらりと変わったわけでなく、ファミリーマートにすんなりと繋がっていることから、探さなければならないという思いが喪失してしまっている——関心を失くしている——ことは明らかだ。
 ついで、ファミリーマートの場面。ここでは白澤なる人物が登場するが、かのじょもまた、実在人物である。といっても、古い。小学生時代に親交のあった女性で、かのじょとはそれっきりだ。中学生以降、直接会ったことがない。実在世界でながらく会わず、すっかり疎遠になっているため、面喰い、居心地の悪さを感じたのだろう。ふしぎなことに、レジにいたかのじょは成人だった。身長が大人のそれで、体格や顔立ちも二十代半ばを思わせた。菊間店長は『5st とりっぷ』でも出てきた人物である。かれの人物像はそちらを参考するとよい。じつはこのあとの夢でも度々登場している。特定の心理状況や環境で、かれが出現する可能性がある。そこのところを今後、見極めていけたらと考えている。
 家族がいる飲食店に至るまでの場面。町並みの様子としては、新宿のゴールデン街や上野のアメ横のような雑多さではなく、韓国の広蔵広場や台湾の遼寧街のような煩雑さが雰囲気として近かった。両方ともじっさいに行った経験はない。この町の様子と、家族のいる大衆食堂(韓国料理店)は、私の全思念が縦横無尽に彷徨する胸の内にある家族の位置、私の自意識の位置、祖国(韓国)の位置であるようにも思える。排他的であり、疎外されているようでもある。家族の者たちは、一様に食事に熱中しているような真剣そのものの表情をしていた。素の感情を隠しているようにも見えた。
 このあとにバッタの場面がとつぜんにつづく。しかし、韓国料理店とガレージのあいだは断絶していない。つながっている。父母弟がヤンニョムチキンにかぶりついているのを眺めていると、視点が変わり、主観的目線から客観的目線——私の目が私の身体から離れていき、家族とともに席につき、つまらなさそうにしている私自身をもひとつの風景として俯瞰できてしまっている——に移ろい、つぎの瞬間にはそこがガレージで、かれら——私の父と母、弟、そして私——がバッタになっており、飼育箱にいた。私はそれを覗いていた。ただ、このとき、私はそれらがもうひとりの〈私〉、そして私の家族だという認識はまるでない。バッタはバッタであり、ショウリョウバッタのなかにトノサマバッタがいたのを奇異に感じていたぐらいである。トノサマバッタに対しては、「アダルトチルドレントノサマバッタ」という言葉がこびりついている。成熟しきっているにもかかわらず、こどものように面倒を見られているのだ。実在世界における有意識の私からすれば、このトノサマバッタがなにを暗示するかは想像するまでもないほど、意味合いとしては露骨である。
 さて、今回の夢で疑問として残る、ないしは謎として回遊するものは以下である。
 店がすべてチキンつながりである。ファミリーマートは私のなかでファミチキやスパイシーチキンなどチキンのイメージがいささか強い。韓国料理店で出されている料理はヤンニョムチキンのみ。ケンタッキーはいわずもがな。
 暗喩としてバッタを使用されている。昆虫食の流れで、バッタを食べる動画を度々目にしてはいた。その食としてのバッタ関連から導き出されたもの——ヤンニョムチキンを食べる→食→昆虫食→バッタ——か、はたまたバッタの大量発生のニュースから導き出されたもの——このとき、アフリカからアジアにかけて、異常に繁殖したサバクトビバッタが大移動しながら各地に多大な被害をもたらしていた——か。
 ビー玉転がし遊びをしている。なぜ私はバッタに興味をなくし、ビー玉に囚われているのか。それが無機物であるからなのか、それとも球体であるからなのか。もしかしたら、ひとり遊びをしているという状況の演出としてビー玉を使用したのかもしれない。