「おせんころがし殺人事件」資料(6)おせんころがし伝説
伝承(一)
昔、房州大沢一帯を領地にしていた豪族に、古仙家があった。
古仙家は重税を課し、領民たちを苦しめていた。
その古仙家にはひとり娘がおり、名をお仙といった。
お仙は、ひとり娘ということもあり、たいへん可愛がられ、何不自由なく育てられた。容姿は美しく、また聡明であったという。
数え齢13歳のとき、彼女は重税に喘ぎ、苦しみ、いきり立つ領民たちの窮状を知り、心を痛め、父に対し、「華美な生活を慎みたい」と申し出た。
申し出は受け入れられ、お仙は貧相な身なりとなった。
その様子、そしてそのお仙の健気な態度に領民たちは心を打たれ、怨嗟を鎮めた。
しかし、お仙が数え齢18歳になった夏。
稲穂は実りに実り、ひさしぶりの豊作となったこともあり、欲に目が眩んだ古仙家領主はさらに税を引き上げた。
これに堪えきれなくなり、ふたたび憤懣を抱えた領民たちは名主を立て交渉を行ったが、失敗。娘のお仙の懇願もあったが、領主は税の引き上げを取りやめることはなかった。
とうとう領民たちは怒りを爆発させ、秋祭りの日の夜、酒の酔いに身をまかせた若者を中心に、古仙家の屋敷へ押し入り、酔いつぶれて寝ている領主を問答無用、簀巻きにし、そのまま断崖へと投げ落としてしまった。
翌朝、領主の死をたしかめに浜へと降りた領民たちは、そこで屍体を見つける。
父の着物を身に着け、身代わりとなったお仙の屍体だった。
領民たちは驚愕し、行いを恥じるとともに、嘆き悲しんだ。
このことから、お仙が亡くなった断崖は「おせんころがし」と呼ばれるようになった。
伝承(二)
昔、上総の国、奥津大沢の海辺の村にお仙という美しく気立ての良い娘が住んでいた。
お仙が十二のとき、やさしかった母が亡くなり、病身の年老いた父とのふたり暮らしとなった。
ある日、お仙は村人から「大沢の浜の高い崖に根を張る磯菊は父の病気によく効く」という話を聞いた。その日からお仙は、足をすこしでも滑らせてしまえば命はない危険な崖に毎日赴いては、父のために磯菊をとり、それを煎じて父に飲ませることにした。
孝行の心が通じたのか、父の容態はだんだんと快方に向かった。それに呼応するかのように、お仙もますます美しくなり、近在の評判となった。
あるとき、土地の代官は美しいお仙の評判を耳にした。かれは、卑しい代官として噂されている者だった。かれは、ぜひお仙を自分の許に置きたいと考え、使いの者に多額の金銭をもたせ、お仙の家へ送った。しかし、噂を聞いていた父は、娘の身を案じ、お仙が代官屋敷へ行くことを固く拒んだ。それでもなお諦めきれず、代官は手を変え品を変え頼んだ。けれども、父の態度は変わらなかった。
代官は怒り、お仙の父を殺害しようと決意した。
代官は家来に命じ、お仙のいないときを見計らって、父を連れ出させ、猿轡をはめて簀巻きにした。夜更けに崖から落とすつもりであった。
しかし、その様子をたまたま仕事帰りに目撃してしまったお仙は、驚き悲しみつつも、家来たちがいないのを見計らって父を救い出した。そして、父を家に帰し、寝かしつけたところで、父の身代わりとしてお仙は自身で簀巻きとなった。
それを知らず、代官は夜更け、その簀巻きを崖下へ転げ落としてしまった。
後になってそれを知った父は自失し、ただただ泣き崩れるばかりであった。
心のやさしかったお仙を思い、村人たちも嘆き悲しみ、かのじょを弔った。
それから、孝女お仙の話はいつまでも後世に伝えられ、やがてお仙が亡くなった崖は「おせんころがし」と呼ばれるようになった。
伝承(他)
・「伝承(一)」の流れで、お仙の死を受け、強欲であった父が心を入れ替える。
・病弱な父のため、お仙は崖へ薬草を採りに行き、その際、誤って転落してしまった。
・若者がふたり、お仙の取り合いをし、競争した結果、命を落としてしまった。それを悲しんでお仙自身も身投げした。
・父が後妻をもらう。後妻はお仙を煩わしく思い、虐待。さらに、父と後妻のあいだに子ができたとき、後妻はいよいよ邪魔な存在として映るお仙を殺害することに。崖に呼び出し、突き落とす。かろうじて崖にひっかかるものの、後妻が執拗にお仙を蹴り、崖下に転げ落とすことに成功。お仙は後妻によって殺されてしまった。