夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

夢奇述——10th とりっぷ(2020/06/30)

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 終末が予告された世界。
 父母弟と行動を共にしていた。
 町並みは荒廃していなかったが、陰鬱な空気がただよっていた。
 ひとびとはもう残り少ない命だと観念しており、私たちの家族同様、家を捨てあてもなくさまよい歩いていた。
 もはや滅多に肉を食べれない状況下であったが、たまたま行き通ったファーストフードじみた安っぽい中華飯店で、中年夫婦と父母が親しくなり、そこでありったけの肉料理が振る舞われた。
 家族で遮二無二かぶりつき、たらふく食べた。どんな肉がつかわれているかは不明であったが、ひさしぶりの食事であったため、おいしかった。
 お金はとくにかかっていない気がする。
 中年夫婦に別れを告げ、店を出てふたたび街をさまよい出したところで、震動、不穏な空気が流れたあと、真黄色のマグマが津波のように押し寄せてくるのが遠方からみえた。
 高層ビルが呑まれる。近づいてくる。
 ひとびとは逃げ、私たち家族もそれから必死に逃げた。
 マグマから逃れるため、トンネルに入っていったものの、そこにもマグマは問答無用に流れこむ。
 両親とははぐれた。
 トンネルのなかはマズいと考え、弟とともに、入口へ引き返し、高い建物の上を目指すことにした。
 壁を駆け上がり、なんとか屋上にたどり着き、眼下のマグマを見遣る。
 多くのひとびとが呑まれていた。生き残ったのはじぶんたちだけのように思えた。
 それも束の間、今度はそれよりも大きな津波がやって来た。
 建物ごと私と弟、ほかに屋上にいた者たちも呑まれた。恐怖はすこし感じた。しかし、諦念のほうがつよかった。そのとき、奇妙なことも考えていた。
「ぼくらはデータだ。このあとどうなるのだろう?」

         ***

 うなされることも、ハッと目覚めることもなかった。
 全体をとおして、動揺するほどの恐怖に苛まれることなく、淡々と体験したように思う。
 夢に登場した家族は、じっさいの家族であった。ただ、年齢がそれぞれ現実とは異なっており、父が四十代後半、母が四十代前半、私がおそらく十代半ば(中学生)、弟が十代前半(小学生)だった。
 私は家族が嫌いで、年に一度連絡するかしないかぐらいの仲であるが、このような関係になったのは伯母が自殺した翌年(高校時代)ぐらいであった。ぎゃくにそれまでは良好——良好というよりも依存的で、なおかつ小学高学年から中学時代までは突拍子もない夢想に耽るのが好きな時期だった。たぶん、家族および私の年齢はそれが影響している気がする。
 町の彷徨はどうであろう。私たち家族やほかのひとびとも、ほとんど家を捨てていた。目的地がないにもかかわらず、荷物を背負い、道を途方もなく歩くしかなかった。これは津波がやってくることが確定していて、逃れられないと確信しつつも、なお、何かせずにはいられないという行動のあらわれ——焦燥感、もどかしさ——であったことは明らかである。移動中の記憶としては、各建物には略奪や強盗のあとが見受けられた。飲食店だけは比較的営業をつづけているところが多かった。
 肉。これはこの時期抱えていた私の欲望がいくらか反映されている気がする。無性に肉が食いたかった。
 仕事ばかりで碌に身体を動かさなかったこともあって、前の月までは少食でげっそりしていたが、ちょうどこの六月あたりからコロナ感染予防を考え、なるべく電車を使わないという選択のもと、運動をするようになり、その反動で身体が食事を欲するようになった。とくに肉。これは容易に思い当たる。「意味を見出したくない、無意識界は無意識界」と割り切ってはいるものの、こればかりは意味をみつけてしまう。われながら微笑ましい。
 さて、本題のマグマだが、まずもって、マグマだったのだろうか?
 夢のなかで私はマグマと直覚したが、それは粘度があるのを認められたことと、色のせいであった。目覚めてからは、津波のようでも洪水のようでもあったと感じている。ちなみに、その後の大きな津波は、マグマではなく、津波であった。しかし、はじめのほうに押し寄せてきたマグマ のようなものの正体が何であったのかは、正直どうでもよいのだろう。これは〈呑む〉という事象になにか潜まれていたように思う。そして、私の最期のつぶやき。「神=集合意識=マグマ=津波」という考えが頭いっぱいに広がり、私は実在するのではなく、本来は存在しない——仮想空間にいることを確信してのつぶやきだった。
 夢を仮想空間として見做していたのではなく、私という存在があること自体に仮想空間を見出していた。