夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

夢奇述——4th とりっぷ(2020/06/22)

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 青空。あたたかな陽光。
 大学にいた。
 学内の敷地は広大だった。背が低く、ガラスの多い白塗り半円状の棟が並び、手入れのいき届いた瑞々しい芝生がいたるところにあった。敷地と棟内は、どちらも清潔だった。
 春らしく、大学は新入生でにぎわっており、サークルの勧誘が盛んにおこなわれていた。
 学生の群れがちらほら見受けられた。
 私は、大学生だった。それも一年生だった。
 敷地内をあてもなく散策することで、社会経験を経て、あらたな大学へ入りなおしていたことへの実感を強めていた。開放感と達成感が胸にしみていた。
 じぶんの学科がある棟に入り、三階の図書室にこれといった目的もなく足を運び、本棚にぎっしりと詰まった茶色い背表紙の装幀本を眺めてはふたたび一階に下りた。しあわせだった。
 一階のラウンジにはふかふかのひとり掛けソファが点在し、長大なテーブルと椅子もあった。
 そこでは、数名の学生が課題を行っていたり、談笑をしていたりした。
 知り合いの女学生をみつけた。村上朋美。
 かのじょは、知り合ったばかりで、さいきん入ったばかりのサークルのメンバーだった。
 かのじょは白いふんわりとした長袖のワンピースを着ていた。
 かのじょはひとり本を読んでいた。
 私はこのあと講義などの用事もなかったので、いっしょに帰らないか、とかのじょにいった。
「ええ、いいですよ」
 かのじょは本から目をあげ、うれしそうに返事をした。
 かのじょもこの後とくに用事はないようだった。
 いっしょに棟内を出て、駅行のバス停。
「あ、村上さん」
 バスが来るのを待っていると、村上の友人であり、私の知り合いでもある工藤さやかが声をかけてきた。
 かのじょもまた、サークルのメンバーのひとりだった。
 かのじょは黒のレザージャケットを羽織っていた。ジャケットにかぎらず、全体の服装も黒を基調としていて、冷ややかな印象があった。
「工藤さん」
 村上がいう。
「いま帰りなの?」
「そう」
 三人で帰ることになった。
 まもなくしてバスが来、乗る。
 約十五分のあいだ、バスに揺られた。村上と工藤が話をしていて、私はそれに耳を傾けながら、外界をみていた。ひらけた町並みだった。道路が広く、建物はいずれも低かった。空が大きくみえた。
 駅のバス停につき、バスのドアがひらく。
 続々と学生たちは車内から吐き出された。
 村上と工藤は先行していて、私はそのうしろを歩いた。駅周辺の風景に気をとられていた。建物が密集していない空間が、どういうわけか、新鮮だった。
 改札をぬけ、ホームに向かい、地下鉄に乗る。
 座席はそこそこ空いていた。私がなぜか真中に坐ることとなり、村上と工藤に挟まれる形となった。
 どうも居心地悪く、会話はなかった。ときどき村上が気をつかって話しかけてくれるも、私と工藤は素っ気ない返事ばかりで、弾まなかった。
 トンネルのあいだを電車は淡々と進んでいた。窓から規則正しく電灯が過ぎていくのが覗ける。
 駅につく。
「あ、じゃあ、わたしここだから。また」
 村上が申し訳なさそうに、名残惜しそうに、降りていった。
 工藤とふたりになった。
「なんで、大学に入りなおしたんですか?」
 かのじょは関心なさそうに訊いてきた。
 沈黙が気まずく、会話の種として質問してきたことは明らかであった。
 しかし、私は適当に返すことなく、熱をいれて、
「一度大学を卒業して、就職したんだけど、どうしても勉学がしたくなったんだ——」
 と語りだし、夢中になってしまって、あげくは、
「きみもただ大学に入ったわけじゃないだろう? なにか理由があって大学進学を希望したはずだ。だから無駄には過ごすなよ。この四年間を充実したものにするために、まずは目的をみつけたほうがいい。絶対に」
 といった。
 そして、かのじょの横顔をみる。かのじょの好意を期待していた。だが、かのじょの心にはまるで響かなかったらしい。かのじょはスマートフォンをいじっていた。
 駅につく。
 かのじょは私にあいさつもせず、早々に電車を降りて行ってしまった。私も声はかけなかった。会話がマズかったことを自覚していた。
 ひとりで電車に揺られる。
 規則正しい音、単調な振動。
 ふと、恋をしようと思い立つ。大学生の醍醐味といえば恋愛だろうという安直な発想だった。
 私は二十代後半であり、現役の学生とは歳に開きがあったが、そんなことを気にしてはいなかった。
 さきほど別れたばかりの工藤と村上に送るメールの文面を考えた。
 それは電車を降りても、駅の改札を出るあいだもつづいた。
 慎重にことばを選び、メールを送ったつもりではあったが、工藤からは返信はなかった。
 村上からはすぐに返信があり、〈今度、もしよければ、いっしょに本屋へいきませんか?〉といった内容が書かれていた。
 私はどちらにも恋愛感情はなかったが、どちらかといえば工藤と恋愛をしてみたかった。村上には惰性で連絡を取ってみただけであったため、村上の積極性に戸惑った。
 かのじょの誘いをどうするか悩み、けっきょくこれといった返信もしないまま、家についた。
 家は横に広く、一階建て。アメリカの家のつくりを思い出させた。二重ドアをあけ、なかに入る。
 内装はウッド調で、シーリングファンがゆったり回っていた。土間と床の区別はなく、私は靴のまま、居間にある、くたびれたワインレッドの四人掛けソファに倒れこんだ。
 ドア枠はあるものの、ドアはない奥の部屋から父の歌声がきこえてくる。Maroon5の"Sunday Morning"を歌っていた。
 うまいな、と素直に感心しつつ、私は目の前のテレビを点けた。そして、映画を再生する。
 コーヒーテーブルにはその映画のパッケージが置かれていた。映画会社のロゴが流れているあいだ、そのパッケージをみる。タイトルは『世界終末と果て』。裏を見る。あらすじが載っていた。〈人類滅亡後に生き残った男ふたり。絶望しながらも生きる道を模索していく〉といったような文句が書かれていた。パッケージを放り、画面をみる。いつのまにか、その映画の登場人物になっていた。
 私は六人組犯罪集団のひとりだった。常習的に、車を駆って、強盗を働いているらしい。表向きの仕事は、感染研究所アルバイトスタッフであった。私は研究所にいて、事の異変に遭遇していた。
 宇宙から帰還した飛行士三名が謎のウイルスに感染し、四方がクッション素材でできた真っ白の部屋に隔離されている映像が巨大なモニターに映し出されており、雑務の書類運びをしている最中、それを目にしたのだった。
 宇宙飛行士たちはヘルメットこそつけてはいなかったが、宇宙服のままであった。男がふたり、女がひとりだった。いずれも、顔の肌は重度のアトピーのように赤く爛れており、妙な粘液が付着していた。溶け落ちてしまったのか、髪の毛や眉毛、睫毛はなかった。
 私は、かれらの姿に釘付けだった。
 研究員たちはあわただしくしていた。私では到底わかりそうもない機器をいじり、どうやら隔離室に通じているらしいマイクでかれらに呼びかけていた。場は緊迫していた。
「いま、どんな気分だ、教えてくれ」
「めまいがひどい」
「ああ……神様」
 ひとりはもうすでに駄目だった。知能が低下し、自我を失って暴れていた。
「息子に伝えて。あなたをいつまでも愛してるって」
「くそ。どうしたらいいんだ」
「くるしい。あつい」
「もうすこしの辛抱だ。もちこたえてくれ」
「あけろ。あけてくれ。息ができない」
 三名は破裂した。
 研究員たちは動きをとめた。場は悲痛な静寂に包まれた。
 研究員のひとりが私の肩をゆする。
「きみはもう帰れ」
 私は白衣を脱ぎ、釈然としない気持を抱え、仲間たちが待つ、鉄筋コンクリート製のアジトに帰った。
 ステンレスの頑丈な玄関ドアをあけ、二階へあがる。
 二階にある事務所兼書斎にボスの姿があった。かれは屈強な身体に冷徹な顔をのせていた。年齢は四十代。筋肉がうっすらと見えるほどに張った黒のTシャツに、カーゴパンツ、ミリタリーブーツ。かれは腕組みをし、艶のある立派な木製デスクの縁に腰かけていた。
「おう、帰ったか」
 私に気付き、声をかけてきた。
「はい」
「支度しろ。すぐ出るぞ」
「わかりました」
 廊下を歩いていると、ちょうど部屋からボスの恋人が出てきた。
「浮かない顔してるわね」
「はあ。そうですか」
「ドジを踏んだら許さないよ」
 かのじょは二十代後半のようにみえた。美貌であるうえ、乳房が大きく、腰はくびれていた。タンクトップに、ぴっちりしたショートジーンズ。ブラジャーをしておらず、乳首が浮き出ていた。私はかのじょが苦手であるため、それをみても欲情しなかった。むしろ、身体の各部位の主張が強すぎ、うんざりした。
 半地下のガレージに集合する。仲間である三人の男がすでに待機していた。
 ひとりは様子が変だった。なにかに怯えていた。
「おい、どうしたんだ?」
 私は訊いた。
「声がきこえた。ずんずんひゅるるって」
 わけのわからない返事だった。
 どういう意味だ? とさらに訊こうとしたところで、ボスが恋人を伴ってやってきた。
 「よし、出発するぞ」
 ボスがいう。
 私たちは改造されたダットサントラックに乗りこんで、ガレージを出た。
 ドライバーが持ち前のテクニックで、巧みにチンタラ走行している自動車をすり抜けながら加速していく。
 私は荷台の縁を掴みながら、同じく荷台に坐っている、様子が変な仲間を心配した。かれは項垂れ、ぶつぶつと不明瞭なことばを呟いていた。そして、よだれを垂らすようになった。肌色もおかしい。私の頭のなかで、モニターに映し出されていた宇宙飛行士たちがちらついた。不吉な予感がした。
 そのとき、後方からサイレンが鳴った。パトカーだった。
「くそ! 勘の良いポリ公だ! おい、撒くぞ!」
 ボスの苛立った声。
 ドライバーはボスの指示を受け、なお加速した。
 私は仲間の異常が研究室でみたものと同じ類であると、ようやく直覚し、ボスに伝えようとした。
「ボス、かれの様子が変——」
 伝えきるまえに、様子の変な仲間に襲いかかられた。
 私はかろうじて避け、かれはそのまま座席のほうへ突っこんだ。運転席にも影響をおよぼしたらしく、トラックは勢いよく横転した。
 私は荷台にいたこともあって、トラックから放り出され、アスファルトのうえを跳ね転がるだけで済んだ。警察に捕まらないよう、そして凶暴化した仲間に襲われ感染しないよう、私は痛めた片足を引きずりながら、無我夢中で駆けた。うしろをふり返らず、またトラックがどうなったのかも確認せず、ただただ走った。
 そして、しばらくして、体力の限界を感じ、建物と建物のあいだに滑りこみ、身を潜めた。息を整え、こっそりとあたりを窺った。警察が追ってくる気配はなかった。仲間たちの姿もなかった。しかし、過酷な現実が目のまえにぶら下がっていた。
 町全体が異様だった。逃げ惑う者たち、唸り声をあげて襲いかかる者たちがいた。爆発音。車の衝突。謎のウイルスの感染者が急速に増えていた。
 私はハッとした。『世界終末と果て』ということばが頭に浮かんだ。
 ここから終末がはじまっていくのか、と私は思った。

         ***

 今回の夢から、こまかく内容を記録することに成功している。
 あらかじめ、こまかく記録する方法を模索し、ようやく成功したというわけではない。
 ふと、できた。
 いちおう、同じ志をもつ方のために、やり方を明記しておく。
 重要なのは、半覚睡状態の持続である。覚醒と睡眠の中間状態をながく維持することによって、実在世界へ夢をある程度精確に携えることができる。どういうことかというと、夢の世界での出来事を体験したあと、実在世界へ浮上するまえに、夢を夢たらんことを自覚できる有意識を前のめりに覚醒させ、つかの間、わざと、夢の世界にたゆたわせたままにするのである。そこで、一連の出来事を記憶しなおしながら、実在世界において朦朧と断片的にメモをとる。そして、実在世界に浮上してからは時間とのたたかいである。目覚めたそのときから、夢の内容は霧散していく。そのため、急ぎ、半覚睡状態で捉えた夢の記憶と、自動筆記的に記述したメモをつなぎ合わせていくのだ。そうすることで、こまかい夢の再現が可能になる。
 ただ、これは疲れる。寝ていたとは思えないほどの疲労感が頭の片隅にこびりつく。どうやら、半覚睡状態を維持させるのに、脳味噌をつかうようなのだ。おすすめはしない。
 このあとも、私はこまかく夢を記録することに成功しているが、やはり頻繁にではない。日常的に疲れていると、これができない。奇妙な話だが、体力がないと、こまかな夢の記述は難しいのだ。

 さて、今回の夢であるが、実在世界においての私が補足しなければならないのは、村上と工藤についてである。この両名は実在の人物である。
 村上は大学時代の恋人であった。色白で黒髪ストレートのボブという、いかにも文学少女然とした女性で、今回の夢での服装に関しても違和感はない。かのじょらしいといった感じである。かのじょの積極性に戸惑いをみせる私には意外だった。当時もそうであったし、別れたあともそうであったが、私はかのじょが好きだった。唯一、別れ話を切り出されたときに動揺を隠しきれず、縋った人物でもあるのだ。それが夢のなかでは向こうから歩み寄ってきているにもかかわらず、私は冷ややかである。
 いっぽうで、工藤は今年私が面接して採用した大学生のアルバイトである。かのじょは一度の出勤だけで、音信不通となった。なぜ音信不通となったのか、詳細理由はわからない。初回の業務は負担ないものにし、うまくこなしているようにみえた。それが次回の出勤日をきこうと連絡をとった際に、とつぜん不通になったのだ。そのため、顔を合わせたのは二度であり、どのような人物なのかも正確には把握していない。印象としては良くない。というよりも、悪い。それが、夢のなかではふしぎだ。私がかのじょに多少なりとも好意を抱いている。おもしろいものだ。
 恋愛するのが億劫で仕方ないながらも、恋愛がしたいという、二律背反した怠惰な欲望が私にはあり、もしかしたら、それが反映されたのかもしれない。
 それ以外の夢の出来事についての補足はこれといってない。ほかはすべて実在にはないものばかりである。それを俎上にのせ、語る気はない。実在から辿る、ひょうきんな推測はいい。しかし、空虚な分析は夢を濁らせる。