ツメノめ

本内容は「せいじん」を対象とし、一部過激な思想、表現を用いています。

島尾敏雄 著『贋学生』書評Ⅱ

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読みやすさ:7
おもしろさ7
意味ぶかさ:5
※10点満点での評価※

 


 この物語は、木乃伊之吉のために書かれた。
 しかし、かれ中心に物語は描かれ、廻っていたにもかかわらず、かれは「木乃伊之吉」でなかったばかりか、けっきょくさいごまで正体が不明のまま終幕をむかえる。
 とにかく、気味が悪い。
 ただ、その気味の悪さは、木乃伊之吉の
単純な正体不明から来るのではない。目にみえているのに、みえていない、たしかに存在を感じているのに、そこには存在していないといったような、不穏なもどかしさから来る。かれは『ゴドーを待ちながら』のゴドーではない。姿はあるのだ。語り手の〈私〉は苦労しながらも特徴への接近を試み、どうにかこうにかそれらしく捉えている。

《木乃は眉根をしかめ、ちょっと艶っぽい顔付をした。それは男が女に向ってしてみせる顔だ。部屋の明るさではっきり見ると、木乃は青色の浴衣に髭の濃い顔の剃あとをあらわにして、一本一本巻毛になってちぢれている頭髪を、ポマードで押えつけて波を打たせ、言ってみれば、なかなか男振りが上っていた。年齢も、学生服を着ている時とはちがいがらっとふけて見え、学生には珍らしい生活臭をにじませている。無頼生活にもめげないような、いきな肩の崩れがあり、私は改めて彼を歌舞伎の女形役者に見立てて感じたことを今又再確認するつもりになった。胸元を高く女のようにきつく合わせた浴衣のきこなしにも、学生仲間ではちょっと見られないやり方であり、総じて彼からは、身体を、というより、肉体をこしこしみがき立てているような印象を受けるのはどうしたわけだろう。木乃は糠袋で頭のてっぺんから足の爪先まで二時間もかかって銭湯でみがき立てているのではなかろうか。彼の肉体の内部からエネルギーがにじみ出て、皮膚は赤色人のように柔軟で強靭な艶をもっている。私は彼から初々しさが微塵も感じられない。私は財産家の息子のタイプなどというものに不馴れだが、木乃がそれにふさわしいとも思えない。私は彼の正体が何であるのか分らなくなってしまった。》
《人々は家路を急ぎ、何かあわただしく、冬への傾斜を思わせる宵であったが、女物の着物を着て伊達帯を猫じゃらしにだらしなくたらした恰好の男が、銀杏返しのようにゆった髪をさんばらにして、白粉をべったりぬり付け、裾を乱して歩いていた。女形が舞台から抜け出て来たような異様な姿は、道行く人々の注意を引き、自然その男の周囲に人が集ると、その男は手を振り上げ、「畜生!」とか「覚えて置きゃがれ!」とか呪いの文句を叩きつけて地団太を踏んだ。私は電車の中からそれを見た。殆んど反射的にあの木乃伊之吉と結びつけて考えていた。頗る巧妙な韜晦方法ではないか。木乃の七つの声色や、彼から最初に受けた女形じみた印象、恐らくは彼の過去の生活の中で、田舎廻りの安芝居の女形であった時期が彼の方法に組込まれていたのではないか。気のせいかその男の声に殆んど木乃の電話の中での、ねばっこい調子をきいたように思った。》

 男であるはずなのに、否応なしに女性性を感じずにはいられない、その中性的な物腰、そして、さまざまな人物にたやすく堂々と化け、不特定多数の人物たちを惑乱しつづける技量、さらには〈私〉のためにあれこれとお膳立てする用意周到さたるや、まるで人間をもてあそぶ悪魔――それもメフィストフェレスのように捉えられる。しかし、そうかといって、メフィストフェレスのような悪魔の存在として木乃伊之吉をかんたんに片付けることはできない。悪魔と見做すには、あまりに生々しい。というのも、木乃伊之吉にはまず、これといった明確な目的がない。くわえて、相手が男だろうとお構いなしに、〈私〉と卑しく交わり、〈私〉へ強制的に弱味をつくっては交際をつづける。どこまで他者の心理につけこむかの線引きがなく、ずぶずぶとどこまでも食いこんでいく。そしてその行為すべてに意味があるのか、得があるのかといえば、それは不明瞭なのである。〈私〉が語るように、木乃伊之吉自身にとっての利益になっていない行為も多分にあるのだ。
 では、不合理である点、電話を愛好する点、嘘を嘘で固め、さらなる嘘を吐きつづけ、やがて自らの首を絞めては破滅に陥る点をつなぎ合わせ、『少女地獄』に登場する姫草ユリ子へと結びつけていくべきか。が、これもメフィストフェレス同様、すんなりとはいかない。似て非なるとでもいおうか。相異がある。姫草ユリ子ほどの現実味が、木乃伊之吉にはないのである。それは前述にもある木乃伊之吉の性の転身ぶりが物語る。姫草ユリ子はあくまで女であり、女であることを武器に、虚構を重ねていく。いっぽうの木乃伊之吉は男であることを武器にせず、ときに男を、ときに女を、巧みに使い分け、虚構を重ねていくのだ。ついで、姫草ユリ子は徐々にまわりの者たちがかのじょの虚構に気付き、多方面からそれぞれの解釈をもって正体を暴いていくのだが、木乃伊之吉はちがう。「とある事件」(事件の詳細はもちろん不明)の犯人として行方を追っていた警察の捜索にとつぜんひっかかり、行方をくらましたことによる虚構の瓦解は多少あったものの、さいごまでかれの虚構の一部は生き、信じられていく。姫草ユリ子にはない、虚構を押し通せてしまう、底知れぬ不気味さが木乃伊之吉には横たわっているのである。
 悪魔と虚言癖のあいだを縫うようにうごめき、判然としない木乃伊之吉。
 掴めるようで掴めないかれは、やはり気味の悪さばかりを読者にあたえる。
 かれが起こした「とある事件」とは、ひょっとして「北九州監禁殺人事件」ではないだろうか? 時空を超え、虚実を超え、つい錯誤した考えを抱いてしまう。