夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

大江健三郎 著『他人の足』評Ⅱ

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* 虚無の果て

 
 本篇においての中心は、一見、主人公の〈僕〉と学生のように思える。
 じっさい、一方は療養所の古参として、一方は療養所の新参として対置し、とうぜんのように寓意が含まれた人物たちであることから〈僕〉は保守派や旧体制派の代表者として、学生は革新派や新体制派の代表者として容易に捉えられ、双方の周辺を楕円状に往復しながら物語は進んでいくかのようだ。
 この捉え方は、あながち大きく外れていないだろう。ふたりの対立を浮き彫りにすると、自動的に、少年たちは大衆、少女は学生を引き立てる、折口信夫の論を借りるなら〈巫女〉、看護婦たちは療養所内を社会然とたらしめる秩序機構、とカンタンに当てはめられるようになる。
 しかし、それに甘んじて早合点し、物語を理解したと引き上げてしまってはいけない。安易な二項対立で片付けられるほど、〈僕〉は単純ではない。たしかに、療養所内での最年長者にして、療養所内の環境にもっとも適応した人物であり、頽廃的享楽に浸る少年たちを是とし、変革を起こす気もなければ、それを望んでもいない。これらの気質が作用し、不慮の事故により療養所の患者として入ってきた学生の活発な変革活動に、ことごとく反発する姿勢をみせはする。だが、学生と真逆とはいい難い。注目すべきは、反抗ではなく、反発であって、学生と完全に対立できるほどの主張を、じつは持っていないのだ。かれは否定的な傍観者でしかない。作者の大江健三郎はこれを執筆当時、サルトルの提唱する実存主義に傾倒していたらしいが、まさにそれに即した要素が〈僕〉には与えられているのである。大いなる流動に身を任せ、現在の己自身をはみ出さない。確固たる停滞状態を貫く、全方位における消極者として〈僕〉は『他人の足』の世界に存在している。となると、ツルゲーネフの『父と子』よりも峻烈な形での不均等なあるいは不平等な対立として捉えなおすべきなのかと考えてしまいそうになるが、それは誤りだ。
 ここで、あまり姿を現わさない、自殺未遂の少年が登場してくる。
 本篇は、〈僕〉と学生の二項対立に見せかけた、三つ巴である。いや、とことん突き詰めるのなら、〈僕〉はあくまで中間位置に佇む、ニュートラルな存在に過ぎず、真の二項対立は学生と自殺未遂の少年とにあると断言する。それを証明するにあたって、学生と自殺未遂の少年も多少明らかにする必要があるだろう。
 といって、学生については深く追究する必要もない。『他人の足』は〈僕〉のために用意された物語ではなく、学生のために用意された物語だからだ。学生のあらゆる面が表出化し、読者はかれの気質に親しみやすくなっている。〈僕〉が実存主義者であるのに対し、学生は露骨に社会主義者である。率先してまわりの者をも巻きこんで、かれらを救済するため、精力的に前向きな活動をし、療養所を変革すべく身を粉にしている。
 自殺未遂の少年はというと、かれは本篇でのもっともユニークな存在である。療養所内の者でありながら、あえて孤立を選び、まわりに溶けこもうとしないのもさることながら、〈僕〉や少年少女たちと境遇を同じくするわけではなく、かれはどちらかというと、学生側である。つまり、半身不随が治る見込のある人物なのである。にもかかわらず、あらゆることに明確な絶望を抱き、自殺しようともしていた。ただし、衝動的な自殺ではない。かれは、大江の筆いわく、無口かつ読書好きであるらしく、また「複雑な方法」で自殺しようとしていたというところから推測するに、着実に知識を蓄え、熟考した後、孤独に後ろ向きな取り組みを模索した結果として、たまたま自殺に行きついただけであるように考えられる。かれは虚無主義者なのだ。人間に絶望し、社会に絶望し、ただただ自然の摂理に呑まれることを望み、そのための積極的な行動をとろうとする者なのである。
 学生と自殺未遂の少年のあいだには、〈僕〉と学生以上の対比がある。
 学生は〈生〉の象徴であるのに対し、自殺未遂の少年は〈死〉の象徴である。そして、前述したように、学生は前向きな取り組みをするのに対し、自殺未遂の少年は後ろ向きの取り組みをする。さらには、学生は〈希望〉をもって行動を起こすのに対し、自殺未遂の少年は〈絶望〉をもって行動を起こす。また、本篇において学生は頻繁に登場するのに対し、自殺未遂の少年はあまり登場しない。
 くわえて、両者の土台には共通項がある。それは両者とも療養所においては〈異端〉であるということだ。この共通項が対立をヨリ判然と対立たらしめている。〈僕〉にはない。
 この真の二項対立にたどり着くと、『他人の足』の終わりが別の面貌を露わにする。
 自殺未遂の少年は、学生に影響され、半身不随から快復するための手術を行う決意をする。
 かれは〈希望〉を胸に秘めて手術へ向かったのだろうか?
〈僕〉は、自殺未遂の少年が吸血鬼の本を読んでいる場面で、吸血鬼に脚から血を吸われるかもしれないという話をし、笑った。自殺未遂の少年は、笑わないばかりか、脣を固く噛みしめていた。
〈希望〉なんてない。
 かれは、吸血鬼になるために、手術を受けにいった。