夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

イーライ・ロス 監督『グリーン・インフェルノ』評Ⅰ

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* ホショクの関係

 
 題がよい。『グリーン・インフェルノ』。映画の内容をずばりひと言で表せている。
 正直いって、感想をもとめられたら、「いうことはとくにない。題のとおりの映画だった」と答えるのが、もっとも簡潔にして、これ以上なく的を射た正解であるような気がする。愚昧な推測や熟考を重ねる必要なんてない。直截な感想で済む。それほどまでに、この映画は題に忠実であった。いや、内容に忠実な題をつけられた映画であったというべきか。
 ただ、愚昧な推測や熟考を専門とする私にとって、それで話を打ち切ってしまうのは、いささか物足りなく、おさまりが悪い。ということで、正解にあれもこれもと次々に蛇足を生やしてやる。そして、無駄なものが一切ない滑らかな蛇を描いているつもりが、いつの間にかそれとはかけ離れた、蛇とは似ても似つかない、奇々怪々なムカデを描いていたといった具合に、正解とはほど遠いグロテスクな地点にいざなおうと考える。
 さて、そこでやはり俎上に載ってもらうのは題である。むしろ、題だけでいい。『グリーン・インフェルノ』。和語漢語に置き換えると、『緑の地獄』といったところだろうか。地獄といっても、〈ヘル〉ではなく、あえて〈インフェルノ〉と形容しているところから、業火が滾る地獄であろう。どうしても熱烈な赤がちらついてしまう類の地獄である。その赤に緑が絡みついた題となっている。
 緑と赤。この二色の組み合わせは補色色相配色である。相性が悪く、対立する。絵画においては、コントラストをつけるために用いられる場合があるが、この映画に関してはそればかりではないだろう。フィンセント・ファン・ゴッホの『夜のカフェ』や『ズアーブ兵』のような効果も狙っていたにちがいない。二点の絵についての詳細をいくらか説明しておこう。『夜のカフェ』は比較的有名な作品といえる。中央にビリヤード台が置かれ、それをすこしの距離を隔てて囲むようにテーブルとイスが点在し、まばらに客の姿がある。いずれもうつむいている。そして、白服を着た、客か店の者かがひとり、こちらを向いてビリヤード台の傍らに佇んでいる。どの人物も顔がぼやけ、判然としない。ビリアード台の後方には無数の酒瓶と、ひとつの花が咲き乱れた花瓶が置かれたレジカウンターらしきテーブルがある。さらにそのテーブルの左後方の壁の上部には黒々とした時計が掛けられ、やや斜めの下部の壁はドアひとつ分くり抜かれたようになっており、そこから調理場らしき空間が覗けている。中空にはひょうたん型のようにも見える三つの大きな電球と、ひとつの黒色の笠を備えた電球がぶら下がっている。『ズアーブ兵』のほうは、『夜のカフェ』ほど込みいった構図ではない。それに、あまり認知されていない作品でもある。『ズアーブ兵』は題のとおり、ズアーブ兵の肖像である。黒の短髪に、整えた眉、ほどほどに蓄えた口髭をもった彫の深い青年が、ズアーブ兵特有の恰好をし、描かれている。笑みはなく、どことなく疲れているような、沈鬱そうな表情が顔に張りついている。
 このふたつの絵画に共通しているのは、色の様子である。緑と赤しか使われていないというわけではないのだが、緑と赤に少なからずカンバスの面が割かれており、それがやけに目立つ。
 しかし、この二枚だけが、緑と赤の占める割合が多い作品なのかと問われれば、必ずしもそうではなく、『二匹の蟹』や『石炭はしけ』、『医師フェリクス・レーの肖像』、『包帯をしてパイプをくわえた自画像』も多く、なかでも『二匹の蟹』と『包帯をしてパイプをくわえた自画像』に関しては『夜のカフェ』や『ズアーブ兵』よりも緑と赤はカンバスに塗られている。にもかかわらず、『二匹の蟹』、『石炭はしけ』、『医師フェリクス・レーの肖像』、『包帯をしてパイプをくわえた自画像』は緑と赤が目立たない。
 このちがいはなにか。それは、調和しているか否かである。前者の二枚は調和していない。後者の四枚は調和している。同じ緑と赤であるのに、なぜこのような差異が生まれるのかというと、これは絵を凝視する必要がある。前者の二枚は、緑と赤が密着している。後者の四枚は、巧みに青や黄が、色の緩衝材を果たし、密着しているようで密着していない。この密着しているしていないが重要であり、鑑賞した際の緑と赤からの逃げ場のあるなしで調和不調和が決定するのだ。
 すなわち、『夜のカフェ』と『ズアーブ兵』は、緑と赤が極度に緊張した対立をくり広げ、調和とは縁遠いがために、目立っているのだ。悪目立ちというやつである。悪目立ちをする絵というのは、鑑賞者に良い印象をあたえない。敏感な方であれば、気分が悪くなる。単体の色としては、けっしてそんなはずないのに、組み合わさることで、陰気、沈鬱、不気味、狂気といった、予想外のネガティヴな印象が想起され、不快になってしまうからである。
 映画の題にもどろう。『グリーン・インフェルノ』。みての通り、緑と赤が密着し、対立している。題に忠実な内容と前述した。内容もまた然りである。
 どうやら、カニバリズム一辺倒の、駄菓子のようなケミカルでチープな味わいをもつ雰囲気は見せかけのようだ。