ツメノめ

本内容は「せいじん」を対象とし、一部過激な思想、表現を用いています。

武田泰淳 著『ひかりごけ』書評Ⅱ

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読みやすさ:6
おもしろさ5
意味ぶかさ:8
※10点満点での評価※

 


 昔、若狭国のある長者がいた。娘あり。同じく村に住む男があるとき、長者を食事に招いた。その男というのは、どこからともなく村にやってきて住み着き、とけこんだ者であった。庚申待の日、長者は村の者たちとその男の家を訪ねると、それは大きな屋敷であった。そこで長者一同は男の案内のもと、屋敷にあがるが、偶然、調理場にて、人魚が料理されているところを目撃してしまう。一同気味悪がって、出された御馳走を食さず。それなら、と男は一同に土産としてかの御馳走をもたせる。だが、よろこんで持ち帰った者はおらず、帰途、長者を除く全員が捨てていく。長者だけは物珍しさからか、持ち帰り、それを戸棚に隠す。その様子をみていた娘は何であるかを知らずに、こっそりと食べてしまう。それ以降、娘は年老いることなく、死ぬこともできず、不老不死の力をもって生きることとなってしまう。幾度となく結婚するが、その度、夫と死に別れ、やがて出家を決意する。尼になってからは各地を巡り、最終的には若狭にて入定。八百歳生きたとのことから「八百比丘尼」という名になった。

 以上が『八百比丘尼伝説』とよばれる物語のおおよその筋である。
 むろん、民間伝承であるため、変種が多く存在する。
 たとえば、長者がひとりで男の屋敷を訪ねている場合もあれば、男が老人の場合もあり、また男の屋敷が竜宮や島などといったあからさまな異界を示す場にある場合もあり、長者の娘が長者の妻である場合もある。そればかりか、内容自体ががらりとちがう場合もある。
 しかし、いずれも示し合わせたように、庚申待、人魚、食す娘、不老不死の力は共通している。
 庚申待とは、中国の民間信仰のひとつである道教の伝説に基づくもので、わかりやすくいうのであれば、人間の身体には三尸の虫がおり、それが日々の行いを監視し、宿主である人間が寝静まった頃に天界に報告するため、それを阻止すべく寝ずに神を祀るという、徹夜の行事である。現代とちがって、灯の少ない暗闇の世界に身を置かねばならなかったことから、そのあいだは怪異に見舞われやすく、多くの魔の者が立ち入った。つまり、人魚もこの魔のひとときに出現した怪というわけだ。それでは、それを食したのがなぜ女なのか。そして、なぜ不老不死の力を得たのか。このふたつの疑問については、柳田國男の『山の一生』が答えの手がかりとなる。どうやら、じっさいに八百比丘尼伝説のモデルとなるような尼が室町時代、諸国を練り歩いていたらしい。不老不死の力というのも、その尼が何百年も生きてきたと発言し、また、かつての歴史的出来事を生で見たように語るところからきたようだ。

 この伝説において、おもしろいのは、明確に前半と後半で雰囲気がちがうところである。後半部分で語られる、娘が不老不死の力を得たあとというのはどこか淡い幻想性がただよい、香気豊かでよい。だが、前半部分は原始的恐怖が呼び起こされるような不気味さがある。この不気味さというのは、まったく素性の知れない男の存在もさることながら、やはり調理されている人魚が大きく作用しているように思われる。
 だからといって、とっさにあらためて人魚の姿を、軽々しく想像すべきではないだろう。というのも、ありがちな〈上半身がヒト、下半身が魚〉の姿は、西洋から輸入されてきたものであり、人魚≒〈上半身がヒト、下半身が魚〉という図式が日本で定着したのは江戸時代あたりなのだから、室町時代の人魚をそのような姿に当てはめてしまうのは大きな誤りなのだ。当時の庶民が連想する人魚の姿形としては、『山海経』に登場する陵魚に近く、人面と小さな手足をもった魚といった感じである。では、そのような姿を頭に浮かべればよいのかといえば、そういうわけでもなく、「八百比丘尼伝説」の人魚においては、さらに限定的な特徴が描かれている一変種があるため、それを用いると、みだれ髪のこどもの頭をもち、青白い二本の腕を生やした、すべすべの魚とのことである。これを想像してほしい。すると、奇妙な気持ち悪さに突き当たるはずである。ここからはあくまで直感めいた個人的な推測であるが、西洋の人魚は、動物のジュゴンをもとにしているという説があるが、「八百比丘尼伝説」に登場してくる人魚というのは、ひょっとして水子をもとにしているではなかろうか。水子の隠喩として、人魚ということばを用いているだけではないのだろうか。もし仮にそうだとすれば、娘が食すことで神秘的な力を得てしまったのは、少女が水子を食らうことでその水子の分の寿命までも吸収してしまったから、あるいは、病気でもない健全な人間が効力絶大で希少な漢方(水子)を食すことで、さらなる健康が付与されてしまったから、と考えられ、前半部分の不気味さというのも、胎児の肉を食べたらしい気配があるためと考えられる。調理の場を見た者たちが気味悪がって食べなかったのも、すんなりと合点がいくだろう。しかし、推測が正しいと仮定した場合、なにより重要で、見落としてはならないのが、人肉を食べたところで、それは罪にならず、かえって神秘的な力が得られることである。

 さて、「八百比丘尼伝説」について、なぜこんなにも長々と記したのかというと、それはまさに『ひかりごけ』のためであった。『ひかりごけ』に登場する船長は、八尾比丘尼そのものなのである。なにもかもが、そっくりだ。ゆえに、船長自身に焦点を当てて語るよりもなお、「八尾比丘尼伝説」に焦点を当てたほうが、船長の全容を的確に捉えるにあたって最適だと考え、ここまで筆を進めてきた。船長にたいして語りたいことは、たいてい「八尾比丘尼伝説」をとおして語ってしまった。が、ひとつだけ付け足しておきたいことがある。それは、裁判である。書き手である〈私〉は、裁判での船長の様子をキリストの受難劇になぞらえるよう、読者に指示している。あえて、そこに欧米の要素を取り入れている。これはけっして偶然ではない。じつに暗示的である。武田泰淳ならでは、だろう。かれは、いや、中国文学を研究し、自身の文学のためなら他者を傷つけることをも辞さないかれだからこそ、感得していたはずである。中国文化を基盤にし、独自に発展した日本が、欧米文化に染まり、再形成された〈整然たる社会〉の倫理によって、意図せず虐げられるようになってしまったことを。人肉を食らうことが、罪になってしまったことを。

 武田泰淳は、船長を、あまりにも日本らしい日本人ーー明治維新後の八尾比丘尼ーーとして描き過ぎた。