夢の島=吸殻の山

本内容は「せいじん」を対象としています。

武田泰淳 著『ひかりごけ』評Ⅰ

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* 人肉のあじわい

 
 ふだん、われわれが食す肉といえば、魚肉、甲殻肉、鶏肉、豚肉、牛肉あたりである。
 これは日頃、市場に出回っていることによる、入手のしやすさが大きく影響している。そのため、あたりまえの話だが、これらの肉以外は食せない、ということではもちろんない。規制されたり、身体に害がおよぶわけでもないのだから、ほかの肉類――兎肉、鴨肉、蛙肉、蛇肉、羊肉、猪肉、鹿肉、熊肉といった類――も、機会があればとうぜん食すことができ、その機会とやらも、稀有なものでなく、ジビエ料理店などへ足を運べば比較的かんたんに訪れる。
 やはり、それぞれの肉は種や属が違うこともあって、質が異なり、臭みの強いものもあれば、旨みの豊かなものもあり、筋張った硬い食感のものもあれば、汁気たっぷりの柔らかい食感のものもある。まさに千差万別といった趣があり、肉食を極めるとなると、なかなか奥が深い。どの肉も個性的で、食べ慣れた鶏や豚や牛でさえも、すべての肉とともに、ひと通りしっかり味わい直してみると、歴然とした個々の底知れぬ味わいがあり、どの肉がいちばん美味であるかの判定は公的に難しく、ひとによって好みがわかれそうではある。とはいえ、万人が思わず舌鼓を打ってしまうような美味さを誇る肉がないわけではなく、カモシカ肉や猿肉が意外にもそうらしい。しかし、これは貴重だから美味と判断される側面もなくはないであろう。なにせ、カモシカ絶滅危惧種であることから、猿は人と同類であることから、滅多に食すことができない。
 では、貴重さも美味さをもたらす一部であるとしたら、希少性抜群の人肉はどうなのだろうか。
 たよりない情報を手繰り寄せてみると、豚肉寄りの牛肉といった感じらしく、機械の測定によると、ベーコンに近いとのことである。つまり、食えなくはない。さらに一歩足を進めて、美味いのかという問いに対する追究を行うと、これはまったくもって駄目である。「うまい」「まずい」が入り乱れ、判然としたことはわからなくなっている。無理もない。人肉は、高度な文明社会を形成する人類にとっては、あらゆる肉のなかでもっとも禁忌とされ、謎に包まれている肉なのだから、あいまいであっても仕方がないのだ。
 だが、そこに、茫洋としながらも厳然とした芯をもつ視点から、なお追求の手を緩めず、言外に人肉が「うまい」か「まずい」かを示した作品に、『ひかりごけ』がある。
 本書は日本の人肉食文学のなかでは、鋭い作品といえる。
 本書以外にも、代表的な作品に野上弥生子著『海神丸』と大岡昇平著『野火』があるが、いずれもえらく弱腰である。『海神丸』は人肉食をしようと殺人が起きるものの、いざ食べるというところで踏みとどまり、『野火』では能動的に食さない。さも禁忌をまえにして踏ん張るところに、人間の最後に残された美徳があり、またそこに救いがあるかのようだ。この皮肉な捉え方にはどうやら『ひかりごけ』の書き手である〈私〉も同意見であるらしい。そこで、『ひかりごけ』に登場する船長はその「仮初めじみた救い」を嘲笑い、ふり捨てるかのように、書き手である〈私〉の筆によって、能動的に人肉食へと猛進する。そのおかげか、『ひかりごけ』は他の二作品と物語の環境が似たり寄ったりであるにもかかわらず、絶対的な差をこしらえ、禁忌に肉迫することに成功した。とはいえ、大成功とはいい難い。微々たる成功である。『ひかりごけ』の船長は人肉を求めすぎた。アントロポファジーを超え、カニバリズムの領域にまで達しようとした。それはいい。べつに構わない。むしろ、作者が禁忌をもとめているのだから、そうあるべきだ。禁忌に触れるためには、自身も禁忌になるしかない。しかし、そこで〈私〉はかれを制止した。厳密には、カニバリズムに陥る直前で、暗転させ、物語を遮断、第二幕という形をとって、無理やりかれを法廷へと引っ張り出し、食欲を行使できない環境へ置いて、強制的にアントロポファジーの領域にとどめた。つまるところ、〈私〉も『海神丸』や『野火』とあまり変わらない。けっきょくは、微々たる成功――多少背伸びができただけである。禁忌に肉迫したものの、その先が恐ろしく、〈私〉も尻込みしてしまったのだ。何に怯え、〈私〉は尻込みしてしまったのだろう? 自身の作物が禁忌と化してしまうことか。それとも、もとにした実在の事件から大いに踏み外してしまうことか。あるいは、もしかしたら、単純にカニバリズムの領域へと踏みこんだ船長を描く力量がなかっただけかもしれない。
 話が脱線してしまった。本来は、人肉が「うまい」か「まずい」かについてを表すべく、これを書き出したはずである。〈私〉のことなんて、どうだっていい。本題にもどろう。人肉は「うまい」か「まずい」か。
 多少前述してしまったが、あらためて第一幕で人肉を食らう船長をみるといい。かれは、極限の環境下における最低限の食事という枠をはみ出し、何人も食べている。あげくの果てには相手を殺してでも食べている。ついには、創作者の〈私〉が、いや武田泰淳が、止めるほどだ。その様子をみれば、一目瞭然だろう。うまいに決まっている。そもそも中国や日本では、かつて人肉は漢方薬の一種だった。